教師から占い師になったのは、逃げたからではない。
今は、そう思っています。
私は23年間、中学校で英語を教えていました。生徒の「わかった!」という表情を見る瞬間が大好きでした。
教師という仕事に、やりがいも感じていました。けれどその一方で、私にはもうひとつの現実がありました。
障害のある次男を育てながら、仕事と療育を両立する毎日です。次男の学校で問題が起これば、説明や陳情にも行きました。ですが、同じ教員という立場でありながら学校側に意見をすることで、次第に厳しい目を向けられるようになりました。
勤務先でも、障害児教育について発言すると、「公私混同ではないか」という空気を感じることがありました。
勉強すればするほど、日本の障害児教育はアメリカより20年遅れていると感じました。
なんとかしたい。次男の勉強も見なければならない。教材研究もしなければならない。
担任している生徒とも向き合わなければならない。
全部を抱えながら生きるには、私はあまりにも必死でした。亡くなった夫や母は支えてくれました。
今でも感謝しています。
その一方で、長男にはたくさん我慢をさせてしまいました。
一生謝っても謝りきれないと思っています。無理を重ねるうちに、心は少しずつ壊れていきました。
「私なんて、何をやってもうまくいかない」「否定される」「怒られる」そんな言葉が、いつしか口癖になっていました。死にたいと思う夜もありました。
そして私は、鬱になりました。8年間です。それでも朝になると学校へ行き、笑顔で授業をしていました。
本音を誰にも話せないまま。その後、校長からのパワハラをきっかけに左遷され、私は大学院へ進みました。それまで独学で学び続けてきた障害児教育を、きちんと学び直したかったのです。振り返れば、不器用で、馬鹿みたいに必死な人生だったと思います。
でも結局、私の中心にあったものは、ずっと変わりませんでした。
「障害のある息子が、少しでも幸せに生きてほしい」その思いだけでした。現在、次男は福祉の支援を受けながら、グループホームで暮らしています。私はその経験を通して、「人が生きるとはどういうことか」を、頭だけではなく体で学んでいきました。
教員を辞めた後、メンターから言われました。「占い師をやってみましょう」最初は半信半疑でした。
正直、占いが人の役に立つとは思えなかったからです。
けれど始めてみて、気づいたことがありました。占いは、「当てるもの」ではなかったのです。
その人が、自分の力を思い出すためのお手伝い。私は、そう感じるようになりました。
23年間、教師として生徒と向き合ってきたこと。住職として、人の死と向き合ってきたこと。
鬱の8年間で、誰にも言えなかった痛み。障害のある息子を育ててきた経験。そのすべてが、今の私につながっていました。教師から住職へ。
そして占い師へ。
形は変わっても、私がやってきたことは、ずっと同じだったのかもしれません。
目の前の人が、自分の力を信じられるように関わること。
もしそれが私の使命なのだとしたら、私はやっと、自分の人生を受け入れられる気がしています。
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