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シュリー(趣里衣)の部屋

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『女王の教室』で思い出したこと

2026年7月14日 by wpmaster コメントを書く

天海祐希さん主演のドラマ『女王の教室』。もう20年も前の作品なんですね。

最近Netflixで観返しました。

さらに、鬼教師・阿久津真矢先生が、どうしてあのような教師になっていったのかを描いたエピソードも観て、とても心を動かされました。

占い師として日々ご相談を受けているテーマが、本当にたくさん詰まっていたからです。

親子の確執。

結婚の意味。

子育てをめぐる夫婦のすれ違い。

親から子どもへの依存。

虐待。

親のエゴに苦しむ子どもたち。

組織の中で働く教師の葛藤。

そして、自分を犠牲にして生きてしまうこと。

観ながら何度も、

「ああ、わかるなぁ。」

と思いました。

同時に、昔の自分を思い出しました。

あの頃は、もっと違うやり方があったのかもしれない。

でも、その時の私は、それしかできなかった。

そんな自分への怒りや、少しの寂しさも湧いてきました。

真矢先生は、夢ばかりを語る先生ではありません。

現実の厳しさや、人の弱さ、絶望を隠さず伝えます。

でも、その先で本当に伝えたかったことは、

「だからこそ、自分を大切にして生きなさい。」

ということだったのではないでしょうか。

外側の世界に期待し過ぎない。

だからといって絶望もしない。

目の前にある小さな優しさや、美しさや、愛に気づいて生きる。

真矢先生がそこへたどり着いた背景には、大切な人を失った悲しみや、生徒を守ろうと命を懸けた経験がありました。

だからこそ、あれほど厳しくても、その根っこには深い愛があったのだと思います。

教師だった頃の私は、「何とかしなければ」と思っていました。

生徒も。

保護者も。

学校も。

家庭も。

全部背負おうとしていました。

でも今なら思います。

あの時、教師を辞めたことは、私にとって必要な出来事だったのだと。

あのままでは、自分が壊れていたと思います。

今は、

「自分を大切にしながら、自分のできる範囲で人のお役に立てたらいい。」

そう思えるようになりました。

そして最近は、

「役に立たなくてもいい日があってもいい。」

そんなふうにも思えるようになりました。

自分が笑顔で、心地よく毎日を過ごしていること。

それだけでも、周りに与えられるものはあるのかもしれません。

だから私は、これからも

「自分とつながり、自分を大切にできる人が増えるお手伝い」

をしていきたいと思っています。

それが、今の私が占い師として、そして一人の人間として伝えたいことです。

真矢先生、たくさんの気づきをありがとうございました。

Filed Under: ライフスタイル

『当たる占い師』になりたかった私

2026年7月10日 by wpmaster コメントを書く

占い師になって、もう10年になります。

正直に言うと、最初の頃のことはあまり覚えていません。

それくらい毎日が必死でした。

最初の私は、「当たる占い師にならなければ」と、そればかり考えていました。

お客様が帰られた後、

「あのリーディングでよかったのかな」

「外れていたかもしれない」

そんなことばかり考えていました。

当時は、お客様のお話を一生懸命聞きながら鑑定していましたが、今振り返ると、外れていることも多かったと思います。

だから、その後来られなくなった方もいらっしゃいました。

インターネットの掲示板に、「あげ鑑定だった」「○○はあり得ない」と書かれたこともあります。

その頃は本当にショックでした。

「もう占い師なんて続けられない」

そう思った日もありました。

それでも、生活のためでもありましたし、何より師匠が信じてくださったこともあって、私は鑑定を続けました。

不思議なものですね。

続けているうちに、

「先生、すごく当たっていました。」

「言われた通りになりました。」

そう言っていただくことが少しずつ増えていきました。

もちろん、それは嬉しかったです。

でも10年続けてきて思うのは、「当たる」ことだけが占い師の価値ではない、ということです。

人生には、答えが一つではない悩みがあります。

誰にも話せず、一人で抱えている苦しみがあります。

そんな時に、

「ここへ来てよかった。」

「話を聞いてもらえて楽になりました。」

「先生と出会えてよかったです。」

そう言っていただけることの方が、今の私には何倍も嬉しく感じます。

未来を当てることも大切です。

でも、それ以上に、その方が自分の力を思い出して帰っていかれること。

その時間をご一緒できること。

それが、今の私が大切にしている占いです。

10年前の私は、「当たること」に必死でした。

今の私は、「その人が前を向いて帰られること」を願っています。

その変化こそが、私にとって一番大きな学びだったのかもしれません。

Filed Under: マイ・ストーリー

タロットとの出会い

2026年7月6日 by wpmaster コメントを書く

私がうつ病になり、学校を休職していた頃のことです。

当時の私は、本当に何もできませんでした。

動けるようになるまで、二ヶ月ほどかかりました。

ただ横になって、天井を見ているだけの日々。

今まで頑張り続けてきたものが、一気に崩れてしまった感覚でした。

でも振り返ると、あの時間が人生の大きな転機だったのだと思います。

休んでいる間、私は「本当はやってみたかったこと」を少しずつ始めました。

その中で、人生を変える出会いが二つありました。

一つは、ダンスで出会ったインストラクター。

そしてもう一つが、勇気を出して会いに行った京都のヒーラーでした。

その方が、今の私の師匠、

浅田誠一先生です。

初めてお会いした時、先生は私にこうおっしゃいました。

「もう死ぬところでしたね」

私はどん底でした。

だからこそ、その言葉が妙に胸に入ってきたのを覚えています。

それから先生は、タロットを通して私を導いてくださいました。

先生がリーディングをする時もあれば、

私自身がカードを読むこともありました。

質問を変えたり、

角度を変えたりしながら、

私は少しずつタロットを学んでいきました。

でも、学べば学ぶほど感じたんです。

タロットは、ただ未来を当てる道具ではないということを。

タロットを入り口にして、

人の心も、

身体も、

生き方も、

全部繋がっている。

そんな感覚でした。

先生はよく、

私の思い込みを笑いながら崩してくださいました。

「頑張り病やね」

「悲劇のヒロイン病やね」

そう言われると、

最初はムッとするのに、

なぜか最後は笑ってしまうんです。

長い間、

私は「頑張らないと愛されない」と思って生きてきました。

でも先生は、

そんな私を否定するのではなく、

少しずつ力を抜かせてくれました。

教師を辞めた後、

先生から

「住職、やっときましょう」

と言われた時も、

「いやいや、できへんって」

と思いました。

善光寺参りを勧められた時もそうです。

でも結局、

私は言われたことを素直にやっていました。

不思議なんです。

なぜか「やってみよう」と思えてしまう。

そしてある日、先生にこう言われました。

「占い師、やりましょうか」

その日のうちに、出演する店まで決まっていました。

人生って、本当にわからないものです。

まさか自分が占い師になるなんて、

昔の私は想像もしていませんでした。

占い師になって10年。

もちろん、

悲しいこともたくさんありました。

反省することもあります。

向いていないんじゃないかと思った日もあります。

それでも私は、

今、生きています。

苦しくなった時、

タロットに聞いてみる。

すると、

「そりゃ、仕方ないよな」

と思えたり、

「じゃあ、もう少しやってみるか」

と思えたりする。

タロットは、

いつも私をゼロに戻してくれるんです。

人生が大きく行き詰まった時、

占いやタロットは、

「まだ可能性はあるよ」

と教えてくれるものなのかもしれません。

だから今度は、

私が目の前の人に、

その光を渡せる人でありたい。

そう思いながら、

今日もカードを開いています。

Filed Under: マイ・ストーリー

教師として、生徒と向き合った23年

2026年7月5日 by wpmaster コメントを書く

教師になったのは、次男を出産して一年ほど経った頃でした。

当時、前の主人は資格試験の勉強をしていて、仕事に就いては辞めることを繰り返していました。

家計は不安定でした。

「私が働かなければ」

そんな思いもあり、教員採用試験を受けました。

すると、合格したんです。

自分でも驚きました。

でも今思えば、教師になったことも、私に必要な学びだったのだと思います。

最初に赴任した学校は、今でも一番思い出深い場所です。

生徒と本気でぶつかりながら頑張った合唱コンクール。

車椅子の生徒も一緒に走り切り、一位を取った体育祭の全員リレー。

いじめや不登校に向き合い、どうしたら教室に居場所を作れるか悩み続けた日々。

勉強が苦手な子も参加できるように、授業を工夫したこと。

振り返ると、本当によくやってきたなと思います。

もちろん、傷ついたこともたくさんありました。

でも今は、自分もまた、生徒や保護者、同僚、後輩を傷つけていたことがあったと思います。

必死だったんです。

いつも余裕がなくて、
「なんとかしなきゃ」
ばかりでした。

それでも23年続けてこられたのは、やっぱり担任が好きだったからです。

生徒と一緒に泣いたり笑ったりできたから。

私はきっと、「教える」より、「一緒に生きる」ことが好きだったんだと思います。

その後、私は障害児教育に深く関わるようになりました。

目の前の子どもたちに必死になり過ぎていたのかもしれません。

感謝していただくこともありましたが、一方で「偏り過ぎている」と見られていた部分もあったのでしょう。

人間関係にも疲れ、パワハラを受け、大学院へ行く流れになりました。

その頃には、どこかで「もう潮時かもしれない」と感じていました。

もちろん、お金は必要でした。

でも、自分に嘘をつき続けながら働くことが、だんだん苦しくなっていったんです。

でも当時の私は、

「頑張り過ぎている」

ことに、自分では全く気づいていませんでした。

うつ病になったのは、全部を完璧にやろうとし過ぎたからだと思います。

学校も。

家庭も。

子育ても。

周りとの関係も。

全部うまくいくようにと必死でコントロールしようとしていました。

でも、握りしめれば握りしめるほど、人生はうまくいかなくなっていきました。

そして最後に、自分自身が壊れてしまったんです。

今でも忘れられない先生がいます。

癌を患い、亡くなられた同僚の先生です。

人柄も、熱意も、正義感も、賢さも、本当に尊敬できる方でした。

お見舞いに行った時のことです。

ご自身もとても苦しいはずなのに、その先生は私にこう言ってくださいました。

「次男さんが幸せになってくれるといいね」

私は胸が詰まりました。

あの状況で、自分の苦しみより、人の幸せを願える。

私は、あんなふうに言えるだろうか。

今でも、たぶん無理です。

でも、だからこそ忘れられません。

人は、

どこまで人を思えるのだろう。

本当の優しさとは何だろう。

今も時々、

あの先生の言葉を思い出します。

そして私は、

あの日いただいた優しさを、

少しでも人に返したい人になりたいです。

Filed Under: マイ・ストーリー

家族を持って

2026年7月4日 by wpmaster コメントを書く

「寺に嫁ぎ、母になって」

幼少期から学生時代までは、本当にあっという間でした。

これまで私は、自分の情けなかった部分や、うまくできなかったことをたくさん書いてきました。

でも最近、ふと思い出したことがあります。

私は、本当にたくさんの人に支えられて生きてきたということです。

先生。

近所のおばちゃん。

同級生。

先輩。

家族。

上司。

思い出そうとすると、走馬灯のようにいろんな人の顔が浮かびます。

でも当時の私は、それを心から受け取れていませんでした。

「自分は一人で頑張っている」

そんな気持ちがどこかにあったんです。

本当は、たくさん守られて、助けてもらって、チャンスまでいただいていたのに。

私は、そのことに全然気づいていませんでした。

結婚生活は、私の実家のお寺で始まりました。

亡くなった主人も、義父母も、それを受け入れてくださいました。

今思えば、本当にありがたいことだったと思います。

長男が無事に生まれ、その後、次男を授かりました。

でも私はまだ、ちゃんと人と向き合えていなかった気がします。

寺をどうしていくのか。

家族をどう支えていくのか。

主人と真剣に話し合うことから、どこか逃げていました。

「なんとかなるだろう」

「誰かがなんとかしてくれるだろう」

そんなふうに、人任せにしていた部分があったんです。

今思えば、私はまだ“受け身”のまま大人になりきれていなかったのかもしれません。

次男は、3歳で広汎性発達障害と診断されました。

その後、強迫性障害も重なり、私たち家族には本当にいろいろなことがありました。

ここまで来るのは簡単ではありませんでした。

でも振り返ると、次男はずっと、私に大切なことを教えてくれていた気がします。

感謝とは何か。

自分を大切にするとはどういうことか。

人の人生を背負いすぎないこと。

そして、それでも人を信じること。

私は長い間、「頑張ること」が愛だと思っていました。

でも本当は、苦しみながら無理を続けることと、愛は少し違ったのかもしれません。

次男はとても繊細です。

傷つきやすくて、真面目で、頑固で、時々怒る(笑)。

大学まで頑張りましたが、今はグループホームで暮らしながら、作業所へ通っています。

私は今、以前より少しだけ、「信じて見守る」ということを学び始めています。

長男にも、たくさん我慢をさせてきました。

それでも今は、自分の家族を持ち、人生を歩いています。

幸せでいてくれたら、それだけで嬉しいです。

私の母も今は施設でお世話になっています。

実家のお寺は人に譲り、生まれ育った土地も離れました。

家族も、昔思い描いていた形とは違ってしまいました。

でも、不思議と今は、「全部間違いだった」とは思えないんです。

住職をさせていただいたこと。

読経を覚えたこと。

ご先祖さまに手を合わせる習慣。

それは今も、私の中に残っています。

人生は、思い通りにならなかったことの方が多かったかもしれません。

それでも私は、たくさんの人に支えられながら、ここまで生きてきました。

ようやく最近、「感謝」という言葉の意味を、少しだけわかり始めている気がします。

Filed Under: マイ・ストーリー

高校時代から結婚まで

2026年6月30日 by wpmaster コメントを書く

高校では弓道部に入りました。
部員のほとんどは同じ中学校から来た友だちで、先輩たちは個性的で頭の良い人ばかりでした。

それまで知らなかった考え方や価値観に触れ、「世の中にはいろんな人がいるんだな」と世界が少し広がった気がしました。

その一方で、家では父の身体が少しずつ弱っていき、入退院を繰り返していました。

相変わらず英語は好きでしたが、勉強への意欲はなかなか湧きませんでした。

腹違いの姉たちも結婚したり、一人暮らしを始めたりして、家の中も少しずつ変わっていきました。私はなんとなく取り残されたような、寂しい気持ちを抱えていました。

不良になるわけでもなく、優等生になるわけでもなく、学校も休みがちでした。

3年生の時の担任とは相性が悪く、クラスで「一番休んでいるのはこいつだ」と言われたり、大学受験に失敗した時には「お前はこんなところしか行けない」と言われたりしました。

今なら問題になるような言葉ですが、当時はただ、自分には価値がないのだと思い込んでいました。

可愛い子や勉強のできる子を見ては、「いいなあ」と羨ましく思っていました。

雨に打たれながら、「早く死にたいな」と考えていたこともあります。

大学は、二次募集で外国語大学に入りました。

合格発表は母が見に行ってくれました。

その時、「ちゃんと頑張らないとな」と少しだけ思えたのを覚えています。

本当は第一志望に行きたかったので、最初はひねくれた気持ちもありました。

「こんな大学、バカばっかりや」

そんなふうに思っていたのですが、実際には英語を流暢に話す子もいて、自分の狭さをまた思い知ることになりました。

でも、振り返れば大学時代が一番勉強したと思います。

そして、その頃に後に旦那さんになる人とも出会い、恋愛もしていました。

卒業後は実家に戻って会社に就職しました。

そこで社長に、「お前は甘い」と言われました。

今思えば、その通りだったのかもしれません。

私はずっと不満や毒ばかり吐いて、中途半端に生きていました。

うまくいかないことを、環境や周りのせいにしていた部分もあったと思います。

情けない前半人生でした。

そして23歳で結婚し、会社を退職しました。

Filed Under: マイ・ストーリー

中学校時代

2026年6月30日 by wpmaster コメントを書く

私の実家はお寺でした。
中学校は、母が勤務していた私立中学校に3年間通いました。

塾に行く余裕はなく、参考書で勉強して、わからない問題は小学校の先生に聞いていました。補欠合格で入学した当時の成績は、たぶん最下位に近かったと思います。

これは結構ショックでした。

ど田舎の小学校では、一応リーダー的な存在で、勉強もできるほうだったので、「自分よりすごい人はいくらでもいるんだな」ということを、そこで初めて身に沁みて知りました。

理数系は特に苦手で、周りの子たちが異次元の人に見えました。

今なら時代も違うので問題になるのでしょうけれど、当時は見た目のこともよく言われました。

「お前の母ちゃんもお前もブス、お前はその上バカ」

そんな言葉を投げられることもありました。

私はどんどん自信をなくしていきました。

でも、その頃に出会ったのがビートルズでした。

母がアルバムを買ってきてくれて、安いレコードプレーヤーで何度も聴いていました。あの音楽を聴いている時だけは、自分が別の世界に行けるような気がしたんです。

そこから英語が好きになって、近所へ習いにも行きました。

読書感想文で県の賞をいただき、全校集会で表彰されたこともあります。

女友だちとピンクレディを踊ったり、初恋の人にバレンタインのチョコを渡したり、今思えば楽しい思い出もちゃんとありました。

ただ、友だちの家はどこも綺麗で、私の家とは全然違って見えました。仲良くしてもらっていたのに、私は勝手に引け目を感じて、自尊心をどんどん失っていった気がします。

「私の環境では無理なんだ」
「私の頭では限界があるんだ」

そんなふうに思うようになり、勉強もしだいにしなくなっていきました。

それでも奇跡みたいに、私は県内でも有数の進学校へ進むことになります。

次回に続きます。

Filed Under: マイ・ストーリー

森の中で、自分の延髄を感じた夜

2026年6月30日 by wpmaster コメントを書く

昨夜、久しぶりに『アバター』を観ました。

青い肌の民、巨大な森、木々のネットワーク。

物語として観ていたはずなのに、途中からなぜか不思議な感覚になりました。

「ああ、人は本当は、もっと大きな生命と繋がっていたいんだな」

そんな感覚です。

特に印象に残ったのは、ナヴィたちの“三つ編み”。

生き物や森と繋がる時、彼らは髪を結び合わせますよね。

私はあれを見ながら、なぜか延髄を思い出しました。

首の後ろ。

頭と身体を繋いでいる場所。

呼吸や心臓の動きのような、「生きる」という根っこの部分を司っている場所。

人は普段、頭ばかり使っています。

考えて、

不安になって、

比較して、

未来を怖がって。

でも本当は、

身体はずっと前から、

答えを知っているのかもしれません。

苦しい時、

首や肩が固まる。

不安な時、

お腹が緊張する。

悲しい時、

胸が詰まる。

身体はずっと、

心の声を教えてくれています。

頭より先に、身体は反応しています。

でも私たちは、

頭の中のおしゃべりが多すぎて、

その声が聞こえなくなっている。

『アバター』の森は、

ただの森ではなく、

巨大な生命のネットワークのように見えました。

私はあれを見ながら、

空海の曼荼羅を少し思い出したんです。

一人一人がバラバラに存在しているようで、

本当は大きな生命の中で繋がっている。

木も、

動物も、

人も。

そして、

自分の中にも宇宙がある。

空海は、「本当の自分は外に探しに行くものではなく、自分の中にすでにある」と説きました。

特別な誰かになるのではなく、

本来の自分に目覚めていくこと。

それは、

どこか遠くへ行くことではなく、

頭の中だけで生きることを少しやめて、

身体や心、

そして命そのものを感じることなのかもしれません。

最近私は、

「頑張って変わろう」

とするより、

「今ここにある命を感じよう」

と思うことが増えました。

首の後ろに手を当てて、

ゆっくり呼吸してみる。

森の風を感じる。

空を見る。

それだけでも、

少しずつ頭の中が静かになっていく気がします。

もしかしたら、

私たちはずっと、

大きな生命の樹と繋がったままなのかもしれませんね。

思い出せなくなっているだけで。

Filed Under: スピリチュアル

自分を癒すということ

2026年6月27日 by wpmaster コメントを書く

「プレアデス系ですね」

そんなふうに言われたことがあります。本当かどうかはわかりません。でも、「人の感情を抱え込みやすい」「人のために頑張りすぎる」という部分は、たしかに昔から強かった気がします。布団をかぶって家族の声を聞いていたあの頃から、ずっとそうだったのかもしれません。スピリチュアルの世界では、プレアデスは「癒し」や「愛」と関係が深いとも言われます。最近、「愛の治療」という考え方を教わりました。それは、この世界に蓄積した「あきらめ」や「重たい空気」を、少しずつ光へ戻していくような感覚です。

もちろん、証明できる話ではありません。それでも私は、人の心も、場所も、言葉も、空気も、確かに影響し合っていると感じています。だからまず、自分自身の中に溜まった「あきらめ」を癒すことから始めたいと思っています。

長い間、人のために頑張ることが私の役目だと思っていました。

家族のために。お客様のために。次男のために。でも、誰かを癒す前に、自分の中の重さに気づくことも必要なのかもしれません。

人のためばかり頑張るのではなく、まず自分を軽くする。

それは決して自分勝手なことではなく、これからもっと誰かの力になるための準備なのだと思います。今の私には、それが必要なのかもしれません。

Filed Under: スピリチュアル

幼稚園までの私

2026年6月22日 by wpmaster コメントを書く

「占い師さんって、昔から特別な力があったんですか?」

そんなふうに聞かれることがあります。

でも私は、子どもの頃から不思議な世界で生きていたわけではありません。

どちらかというと、
「どうしたら家の中が穏やかになるんだろう」
と、いつも空気を読んでいた子どもでした。

私には腹違いの姉が二人います。

小さい頃は優しくしてもらった記憶があります。

でも大人になってから、今は絶縁に近い状態です。

何が悪かったのか、正直今でもよくわかりません。

母は看護師でした。

日赤で働き、その後、お寺に嫁ぎました。

祖母は信仰心の深い人で、「娘がお寺に嫁いだ」ことを喜んでいたそうです。

でも実際の生活は、決して楽ではなかったと思います。

古く傷んだ家。

檀家さんとの関係。

腹違いの娘たちへの気遣い。

母はきっと、ずっと気を張って生きていたんでしょう。

父は喘息持ちで、お酒を飲むと荒れることがありました。

夜になると、大声で怒鳴る。

物を壊す。

母や祖母と言い争う。

私は布団をかぶって、その声を聞いていました。

そして、幼い私は思ったんです。

「ああ、私は幸せにはなれないんだ」

って。

今思えば、
子どもが抱えるには大きすぎる不安でした。

でも当時は、
それが普通の日常でした。

だから私は、
頑張る子になりました。

勉強を頑張った。

先生に褒められるようにした。

学級委員もやった。

リーダー役もやった。

先輩に「生意気」と言われても、
あまり気になりませんでした。

本当は、
父や母や祖母に、
喜んでほしかったんです。

「いい子でいたら、家族がうまくいくかもしれない」

そんなふうに思っていた気がします。

でも、大人になってわかりました。

どれだけ頑張っても、
人の感情まで背負うことはできない。

家族の問題を、
子ども一人が解決することはできない。

それでも私は、
あの頃の自分を嫌いにはなれません。

小さな身体で、
必死に家族を守ろうとしていた。

平和を願っていた。

その感覚は今、
占い師として、
人の痛みに寄り添う力につながっている気がします。

「幸せになれない」

子どもの頃、そう思っていた私が、
今、人の幸せを願う仕事をしています。

人生って、
その時にはわからないことがありますね。

傷は消えなくても、
傷があったからこそ、
見える優しさがあります。

もし今、
昔の私みたいに、
家の中で一人苦しくなっている人がいるなら、

あなたが悪かったわけじゃない。

まず、
それだけは伝えたいです。

Filed Under: マイ・ストーリー

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