高校では弓道部に入りました。
部員のほとんどは同じ中学校から来た友だちで、先輩たちは個性的で頭の良い人ばかりでした。
それまで知らなかった考え方や価値観に触れ、「世の中にはいろんな人がいるんだな」と世界が少し広がった気がしました。
その一方で、家では父の身体が少しずつ弱っていき、入退院を繰り返していました。
相変わらず英語は好きでしたが、勉強への意欲はなかなか湧きませんでした。
腹違いの姉たちも結婚したり、一人暮らしを始めたりして、家の中も少しずつ変わっていきました。私はなんとなく取り残されたような、寂しい気持ちを抱えていました。
不良になるわけでもなく、優等生になるわけでもなく、学校も休みがちでした。
3年生の時の担任とは相性が悪く、クラスで「一番休んでいるのはこいつだ」と言われたり、大学受験に失敗した時には「お前はこんなところしか行けない」と言われたりしました。
今なら問題になるような言葉ですが、当時はただ、自分には価値がないのだと思い込んでいました。
可愛い子や勉強のできる子を見ては、「いいなあ」と羨ましく思っていました。
雨に打たれながら、「早く死にたいな」と考えていたこともあります。
大学は、二次募集で外国語大学に入りました。
合格発表は母が見に行ってくれました。
その時、「ちゃんと頑張らないとな」と少しだけ思えたのを覚えています。
本当は第一志望に行きたかったので、最初はひねくれた気持ちもありました。
「こんな大学、バカばっかりや」
そんなふうに思っていたのですが、実際には英語を流暢に話す子もいて、自分の狭さをまた思い知ることになりました。
でも、振り返れば大学時代が一番勉強したと思います。
そして、その頃に後に旦那さんになる人とも出会い、恋愛もしていました。
卒業後は実家に戻って会社に就職しました。
そこで社長に、「お前は甘い」と言われました。
今思えば、その通りだったのかもしれません。
私はずっと不満や毒ばかり吐いて、中途半端に生きていました。
うまくいかないことを、環境や周りのせいにしていた部分もあったと思います。
情けない前半人生でした。
そして23歳で結婚し、会社を退職しました。
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