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シュリー(趣里衣)の部屋

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マイ・ストーリー

幼稚園までの私

2026年6月22日 by wpmaster コメントを書く

「占い師さんって、昔から特別な力があったんですか?」

そんなふうに聞かれることがあります。

でも私は、子どもの頃から不思議な世界で生きていたわけではありません。

どちらかというと、
「どうしたら家の中が穏やかになるんだろう」
と、いつも空気を読んでいた子どもでした。

私には腹違いの姉が二人います。

小さい頃は優しくしてもらった記憶があります。

でも大人になってから、今は絶縁に近い状態です。

何が悪かったのか、正直今でもよくわかりません。

母は看護師でした。

日赤で働き、その後、お寺に嫁ぎました。

祖母は信仰心の深い人で、「娘がお寺に嫁いだ」ことを喜んでいたそうです。

でも実際の生活は、決して楽ではなかったと思います。

古く傷んだ家。

檀家さんとの関係。

腹違いの娘たちへの気遣い。

母はきっと、ずっと気を張って生きていたんでしょう。

父は喘息持ちで、お酒を飲むと荒れることがありました。

夜になると、大声で怒鳴る。

物を壊す。

母や祖母と言い争う。

私は布団をかぶって、その声を聞いていました。

そして、幼い私は思ったんです。

「ああ、私は幸せにはなれないんだ」

って。

今思えば、
子どもが抱えるには大きすぎる不安でした。

でも当時は、
それが普通の日常でした。

だから私は、
頑張る子になりました。

勉強を頑張った。

先生に褒められるようにした。

学級委員もやった。

リーダー役もやった。

先輩に「生意気」と言われても、
あまり気になりませんでした。

本当は、
父や母や祖母に、
喜んでほしかったんです。

「いい子でいたら、家族がうまくいくかもしれない」

そんなふうに思っていた気がします。

でも、大人になってわかりました。

どれだけ頑張っても、
人の感情まで背負うことはできない。

家族の問題を、
子ども一人が解決することはできない。

それでも私は、
あの頃の自分を嫌いにはなれません。

小さな身体で、
必死に家族を守ろうとしていた。

平和を願っていた。

その感覚は今、
占い師として、
人の痛みに寄り添う力につながっている気がします。

「幸せになれない」

子どもの頃、そう思っていた私が、
今、人の幸せを願う仕事をしています。

人生って、
その時にはわからないことがありますね。

傷は消えなくても、
傷があったからこそ、
見える優しさがあります。

もし今、
昔の私みたいに、
家の中で一人苦しくなっている人がいるなら、

あなたが悪かったわけじゃない。

まず、
それだけは伝えたいです。

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名前に込められた願い

2026年6月8日 by wpmaster コメントを書く

皆さんは、自分の名前の意味を知っていますか。子どもの頃は、あまり気にしたことがなかったかもしれません。でも大人になると、不思議と自分の名前について考える機会が増えてきます。占いに来られるお客様の中にも、

「自分に自信がない」

「何のために生まれてきたのかわからない」

そんな悩みを抱えている方が少なくありません。そんな時、私は時々こうお聞きします。

「ご自分のお名前の由来はご存じですか?」

すると、意外と知らない方が多いんです。親御さんから聞いたことがない。聞いたけれど忘れてしまった。あるいは、あまり深く考えたことがなかった。でも、名前というのは面白いものです。そこには親御さんの願いや祈りが込められていることがあります。

優しい人になってほしい。

健康でいてほしい。

自分の人生を力強く歩いてほしい。

一文字一文字に、そんな想いが宿っていることも少なくありません。もちろん、名前だけで人生が決まるわけではありません。けれど、自分がどんな願いを受け取って生まれてきたのかを知ることは、自分自身を見つめ直すきっかけになります。私は住職をしていた頃から、ご先祖や命のつながりについて考える機会がたくさんありました。考えてみれば不思議なことです。両親が出会わなければ、今の自分はいません。祖父母が出会わなければ、やはり存在していません。さらにその前、そのまた前へと遡れば、気が遠くなるほど多くの命がつながって今の自分があります。名前は、その命のリレーの中で受け取った最初の贈り物なのかもしれません。だから私は、自分の名前を好きになれない人がいたとしても、一度だけ立ち止まって見つめてみてほしいと思います。そこには、自分では気づいていない願いや愛情が隠れているかもしれません。今日、少し時間があったら、自分の名前をゆっくり声に出してみてください。

そして、もしご両親やご家族に聞ける環境があるなら、

「この名前にはどんな意味があるの?」

と聞いてみてください。

きっと今まで知らなかった物語が見つかると思います。名前は、ただ呼ばれるためのものではありません。そこには、あなたが生まれてきた時に託された願いが息づいているのです。

「自分の命の意味を深く知りたい方は→【コンサル&コーチング】
→【デジタル学習コース】

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教師から占い師になった、本当の理由

2026年5月22日 by wpmaster コメントを書く

教師から占い師になったのは、逃げたからではない。
今は、そう思っています。

私は23年間、中学校で英語を教えていました。生徒の「わかった!」という表情を見る瞬間が大好きでした。
教師という仕事に、やりがいも感じていました。けれどその一方で、私にはもうひとつの現実がありました。

障害のある次男を育てながら、仕事と療育を両立する毎日です。次男の学校で問題が起これば、説明や陳情にも行きました。ですが、同じ教員という立場でありながら学校側に意見をすることで、次第に厳しい目を向けられるようになりました。
勤務先でも、障害児教育について発言すると、「公私混同ではないか」という空気を感じることがありました。

勉強すればするほど、日本の障害児教育はアメリカより20年遅れていると感じました。
なんとかしたい。次男の勉強も見なければならない。教材研究もしなければならない。
担任している生徒とも向き合わなければならない。
全部を抱えながら生きるには、私はあまりにも必死でした。亡くなった夫や母は支えてくれました。

今でも感謝しています。
その一方で、長男にはたくさん我慢をさせてしまいました。
一生謝っても謝りきれないと思っています。無理を重ねるうちに、心は少しずつ壊れていきました。
「私なんて、何をやってもうまくいかない」「否定される」「怒られる」そんな言葉が、いつしか口癖になっていました。死にたいと思う夜もありました。

そして私は、鬱になりました。8年間です。それでも朝になると学校へ行き、笑顔で授業をしていました。
本音を誰にも話せないまま。その後、校長からのパワハラをきっかけに左遷され、私は大学院へ進みました。それまで独学で学び続けてきた障害児教育を、きちんと学び直したかったのです。振り返れば、不器用で、馬鹿みたいに必死な人生だったと思います。
でも結局、私の中心にあったものは、ずっと変わりませんでした。
「障害のある息子が、少しでも幸せに生きてほしい」その思いだけでした。現在、次男は福祉の支援を受けながら、グループホームで暮らしています。私はその経験を通して、「人が生きるとはどういうことか」を、頭だけではなく体で学んでいきました。
教員を辞めた後、メンターから言われました。「占い師をやってみましょう」最初は半信半疑でした。

正直、占いが人の役に立つとは思えなかったからです。
けれど始めてみて、気づいたことがありました。占いは、「当てるもの」ではなかったのです。
その人が、自分の力を思い出すためのお手伝い。私は、そう感じるようになりました。

23年間、教師として生徒と向き合ってきたこと。住職として、人の死と向き合ってきたこと。
鬱の8年間で、誰にも言えなかった痛み。障害のある息子を育ててきた経験。そのすべてが、今の私につながっていました。教師から住職へ。

そして占い師へ。

形は変わっても、私がやってきたことは、ずっと同じだったのかもしれません。
目の前の人が、自分の力を信じられるように関わること。

もしそれが私の使命なのだとしたら、私はやっと、自分の人生を受け入れられる気がしています。

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「先祖のお骨を迎えた日に思ったこと」

2026年5月14日 by wpmaster コメントを書く

私が小さい時は、実家の寺の裏にお墓があり、そこで友だちと鬼ごっこをしたりしてよく怒られていました。
怖い場所と言うより、ご先祖さんや死んだ人が眠ってるとこなんだって思っていました。亡くなった父は脅かすつもりで言ったんだと思います。
「お盆にはな、大きな大きな火の玉がな,裏のお墓に飛んで行ったんやぞ。お父さんは、しっかり見て腰抜かしたんや」魂って,お盆に帰ってくるんだなって思いました。

最近,母がいつ亡くなってもわからない状態で遠くに住む長男一家の近くでご先祖も共に永代供養してもらうことに決めました。
墓じまいは,まさかしないと思っていましたが、そうなります。ご先祖様に悪いなぁとずっと思ってきましたが、供養していただくお寺があり,私たち子孫がいつも忘れずに感謝していれば許してもらえないかと願います。

住職だった時と同じお経を読経し、墓石屋さんにお骨を出してもらいました。しっかり残っているもんですね。もう、45年も経つのに、びっくりしました。お骨を手にした時、不思議と温かい気持ちになりました。占い師として霊聴をしてきた私ですが、この日ほどご先祖様の存在を近くに感じたことはありませんでした。

容器に入れてもらって家に持ち帰りました。
父が亡くなった時、私はまだ19歳でした。病弱で喘息持ちだった父でしたが、それでも一番認めてほしかった人でした。今こうして手元に迎えられて、やっと一緒にいられる気がします。

記憶のない祖父母、近くで一緒に居られて嬉しいです。
体は乗り物。魂は永遠と聞きます。
一人ではないんだ、今は死ぬことも怖くないというか,あと20年したら自分も身体から自由になるんだと感じます。ご一読いただきありがとうございました。

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私のストーリー——「このまま終わりたくない」から使命へ

2026年5月9日 by wpmaster コメントを書く

私は小さな寺に生まれました。

檀家20軒ほどの貧しい寺で、父は喘息を患っていました。看護師の経験がある母は、父の看病のために結婚したようでした。子どもの頃は寺に生まれなければよかったと思っていました。

でも今思えば、母はピアノを習わせてくれて、私立中学に通わせてくれた。貧しい中でも豊かさを与えてくれていました。それに気づかず文句ばかり言っていた自分が、今は恥ずかしいです。

中学校の教師になり、二人の息子を産みました。障害のある次男の療育に通いながら、担任を続けました。夫は在家から寺に入り、檀家との衝突で苦労しました。私が家族全員を支えていました。

無理をし続けた結果、躁鬱病になりました。

死にたいと思う夜が何度もありました。「私なんて」が口癖になっていました。校長からのパワハラで左遷され、大学院に進み、その後教員を辞めました。

そんな時、メンターの一言で占い師の道へ進みました。

2〜3年目に連日予約満了。1500人の中でトップランキングをキープできるようになりました。

あの「私なんて」が口癖だった私が、です。

しかし占い師として活動する中で、退職金も母の貯金も消えていきました。それでも前を向き続けました。

今わかります。あの苦しかった全ての経験が、今の私の力になっています。鬱の痛み、喪失の悲しみ、先が見えない不安——それを体で知っているから、同じ場所にいるあなたの気持ちがわかります。

私の使命はただ一つです。

「このまま終わりたくない」と思っているあなたが、本来の自分を取り戻すお手伝いをすること。

あなたのストーリーは、まだ終わっていません。

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