教師になったのは、次男を出産して一年ほど経った頃でした。
当時、前の主人は資格試験の勉強をしていて、仕事に就いては辞めることを繰り返していました。
家計は不安定でした。
「私が働かなければ」
そんな思いもあり、教員採用試験を受けました。
すると、合格したんです。
自分でも驚きました。
でも今思えば、教師になったことも、私に必要な学びだったのだと思います。
最初に赴任した学校は、今でも一番思い出深い場所です。
生徒と本気でぶつかりながら頑張った合唱コンクール。
車椅子の生徒も一緒に走り切り、一位を取った体育祭の全員リレー。
いじめや不登校に向き合い、どうしたら教室に居場所を作れるか悩み続けた日々。
勉強が苦手な子も参加できるように、授業を工夫したこと。
振り返ると、本当によくやってきたなと思います。
もちろん、傷ついたこともたくさんありました。
でも今は、自分もまた、生徒や保護者、同僚、後輩を傷つけていたことがあったと思います。
必死だったんです。
いつも余裕がなくて、
「なんとかしなきゃ」
ばかりでした。
それでも23年続けてこられたのは、やっぱり担任が好きだったからです。
生徒と一緒に泣いたり笑ったりできたから。
私はきっと、「教える」より、「一緒に生きる」ことが好きだったんだと思います。
その後、私は障害児教育に深く関わるようになりました。
目の前の子どもたちに必死になり過ぎていたのかもしれません。
感謝していただくこともありましたが、一方で「偏り過ぎている」と見られていた部分もあったのでしょう。
人間関係にも疲れ、パワハラを受け、大学院へ行く流れになりました。
その頃には、どこかで「もう潮時かもしれない」と感じていました。
もちろん、お金は必要でした。
でも、自分に嘘をつき続けながら働くことが、だんだん苦しくなっていったんです。
でも当時の私は、
「頑張り過ぎている」
ことに、自分では全く気づいていませんでした。
うつ病になったのは、全部を完璧にやろうとし過ぎたからだと思います。
学校も。
家庭も。
子育ても。
周りとの関係も。
全部うまくいくようにと必死でコントロールしようとしていました。
でも、握りしめれば握りしめるほど、人生はうまくいかなくなっていきました。
そして最後に、自分自身が壊れてしまったんです。
今でも忘れられない先生がいます。
癌を患い、亡くなられた同僚の先生です。
人柄も、熱意も、正義感も、賢さも、本当に尊敬できる方でした。
お見舞いに行った時のことです。
ご自身もとても苦しいはずなのに、その先生は私にこう言ってくださいました。
「次男さんが幸せになってくれるといいね」
私は胸が詰まりました。
あの状況で、自分の苦しみより、人の幸せを願える。
私は、あんなふうに言えるだろうか。
今でも、たぶん無理です。
でも、だからこそ忘れられません。
人は、
どこまで人を思えるのだろう。
本当の優しさとは何だろう。
今も時々、
あの先生の言葉を思い出します。
そして私は、
あの日いただいた優しさを、
少しでも人に返したい人になりたいです。
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