「寺に嫁ぎ、母になって」
幼少期から学生時代までは、本当にあっという間でした。
これまで私は、自分の情けなかった部分や、うまくできなかったことをたくさん書いてきました。
でも最近、ふと思い出したことがあります。
私は、本当にたくさんの人に支えられて生きてきたということです。
先生。
近所のおばちゃん。
同級生。
先輩。
家族。
上司。
思い出そうとすると、走馬灯のようにいろんな人の顔が浮かびます。
でも当時の私は、それを心から受け取れていませんでした。
「自分は一人で頑張っている」
そんな気持ちがどこかにあったんです。
本当は、たくさん守られて、助けてもらって、チャンスまでいただいていたのに。
私は、そのことに全然気づいていませんでした。
結婚生活は、私の実家のお寺で始まりました。
亡くなった主人も、義父母も、それを受け入れてくださいました。
今思えば、本当にありがたいことだったと思います。
長男が無事に生まれ、その後、次男を授かりました。
でも私はまだ、ちゃんと人と向き合えていなかった気がします。
寺をどうしていくのか。
家族をどう支えていくのか。
主人と真剣に話し合うことから、どこか逃げていました。
「なんとかなるだろう」
「誰かがなんとかしてくれるだろう」
そんなふうに、人任せにしていた部分があったんです。
今思えば、私はまだ“受け身”のまま大人になりきれていなかったのかもしれません。
次男は、3歳で広汎性発達障害と診断されました。
その後、強迫性障害も重なり、私たち家族には本当にいろいろなことがありました。
ここまで来るのは簡単ではありませんでした。
でも振り返ると、次男はずっと、私に大切なことを教えてくれていた気がします。
感謝とは何か。
自分を大切にするとはどういうことか。
人の人生を背負いすぎないこと。
そして、それでも人を信じること。
私は長い間、「頑張ること」が愛だと思っていました。
でも本当は、苦しみながら無理を続けることと、愛は少し違ったのかもしれません。
次男はとても繊細です。
傷つきやすくて、真面目で、頑固で、時々怒る(笑)。
大学まで頑張りましたが、今はグループホームで暮らしながら、作業所へ通っています。
私は今、以前より少しだけ、「信じて見守る」ということを学び始めています。
長男にも、たくさん我慢をさせてきました。
それでも今は、自分の家族を持ち、人生を歩いています。
幸せでいてくれたら、それだけで嬉しいです。
私の母も今は施設でお世話になっています。
実家のお寺は人に譲り、生まれ育った土地も離れました。
家族も、昔思い描いていた形とは違ってしまいました。
でも、不思議と今は、「全部間違いだった」とは思えないんです。
住職をさせていただいたこと。
読経を覚えたこと。
ご先祖さまに手を合わせる習慣。
それは今も、私の中に残っています。
人生は、思い通りにならなかったことの方が多かったかもしれません。
それでも私は、たくさんの人に支えられながら、ここまで生きてきました。
ようやく最近、「感謝」という言葉の意味を、少しだけわかり始めている気がします。
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